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  • 執筆者の写真おかもと まきこ

そらYOGAで心を空に…


そらYOGAで心を空に…


昨日のそらYOGA

壮大な日没、夕空でした

(写真は生徒さん撮影)


屋根の上、360度のパノラマ


空と雲が近いです


風が小さな体を吹き抜けていきます


自然に二の腕が左右に大きくのびて

むねを開いて、至福のポーズ


光や風と一体になれる<そらYOGA>



エゴ(自我)を手放したい

こんなこと考えるの私じゃない!


瞑想やヨガが深まってくると

自分自身の心から生まれる利己心に気づいて

落ち込んでしまうことがありますが


そらYOGAで

小さな私の小さなエゴを

大空へすべてゆだねて

流し去ってしまいましょう


手ごわい自我の振動波も

深い呼吸でハートをひらくと

やがて光に吸収されて

空へ溶け去っていきます


お越しいただき

ありがとうございました


…………………………


興味のある方は次へ

読み進んでみてくださいね


自我(エゴ)

欲、執着

煩悩…


こうしたものを完全になくしてしまおうとして


<エゴとたたかう>


そんな経験、わたしもあります


でも、エゴとたたかおうとすると

逆にエゴが威力を増すような気がします


エゴにフォーカスすることで

逆にエネルギーを与えてしまうんですね


掃除をしだすと

それまで気づかなかった小さなチリにも気がついて

掃除をやめられなくなるように…


わたしが師(マスター)に教えてもらったのは


<たたかわない>というテクニック


あるがままに観察し、心の内に漂わせて、放っておく

そこにいることに気づきながら、一体化しない


エゴというのは

人間が進化の過程で身につけてきた防御本能・機能でもあるので

この肉体が存在する限り

簡単にはなくなりません


そこにエゴがあることを直視し、受け入れたうえで

そのエゴと一体化せず、エゴにのみこまれない

という心理操作のことを


自己客観視

メタ認知

覚醒


などと呼びます


瞑想がめざす完全な覚醒(目ざめ)とは

自分の内にひそむ無限の潜在可能性(善も悪も、あらゆるもの)に

あるがままに、完全に気がついてゆくこと



これと正反対なのが


自らのエゴにまったく気づかない

他者を押しのける利己心の存在に無意識的なこと

貪欲でありながら、そのことに気づかないこと


この状態にとどまっていると


<エゴを手放したい>


という願いが芽生えることはありません


自分の利己心に気がつけないのですが

心はざわざわと落ちつかないので

その複雑な感情を他者に投影します


<わたしが苦しいのはみんな、あの人のせい>


自分の感情を他者(周囲)のものだと認知し

自分と切り分けることで

一時的にすっきりします


これを自己欺瞞=自分で自分の心をあざむくこと

と呼びます


心理的防衛機制の一種ですが

こんな心理操作によって自分で自分を偽っていないか?

それを内観するのも、瞑想ですね


だれにでもある自分へのウソ、偽り

恐れることはありません


一つ一つ見つけながら

そらYOGAで手放していきませんか


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