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  • 執筆者の写真おかもと まきこ

<月ヨガだより> No.3


 宜野湾のCafe、モフモナさんへ行ってきました。

 定番の<ごはんプレート>は根菜たっぷりの漬物、ぷっくり炊けた玄米が最高。人参のスープ、野草茶も身体が温まります。

 それ以上に素敵なのが、店主が古本屋で見つけてきたとおぼしきセンスある本がさり気なく、テーブルや本棚に飾られ、食後もゆったり過ごせるところ。作家さん手作りの個性的な陶器やガラスのコップも販売していて、ナチュラル派にはおススメのCaféです。


 仕事依存でぶっ倒れて休職してたとき、よくこの店へ通いました。その頃ハマったのが、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」。あまりにも有名なので内容紹介は避けますが、村上春樹の小説の主人公には、独特の雰囲気があって、そこに魅かれてます。


 主人公の<僕>の周りで、不思議なことが起きながら物語が展開していくのですが、次々に起こる出来事に対し、僕はある意味、淡々として、受け身で、まるで観察者のようにフィルターを通してこの世を眺めているような。<僕>の体験を、第三者的に体験している<もう一人の自分>がいるような感じ。よく言えば客観的・俯瞰的、悪く言えば他人事のように自分の人生を体験しているような・・・。

 普通の人の場合、出来事に対する反応がワンテンポで起きるとしたら、3〜5テンポくらい遅い。というか、すぐに反応しない。体験を単純に言語化せず、ありきたりな表現に矮小化せず、心をじっくり丁寧に味わっていくんですね。分からないことは分からないままにしておいて、しばらくしてから浮かんできたものを丁寧にキャッチしていく繊細さ、ゆとりがすごい。

 でも、そんな風に自分の心をしっかり見つめ、味わい、自己一致しながら意思を育んでいくので、いざ行動を起こそうと決めたときは、大きなエネルギーで行動していく。

 これはヨガだ、と最近気づきました。


 「避けなくてはならない苦の原因とは、見る者と見られるものの結合である」(ヨーガ・スートラ2.17)。

 ここで「見る者」とは<意識(プルシャ)><気づき>を指し、「見られるもの」とは、対象となる世界全体、自分の肉体や知性、マインド、自我なども含みます。

 私たちの<本来の姿>とは、永遠に変わることのない純粋意識、気づきなのですが、この現象界で生きる中で、肉体やマインドを自分自身と思い込んでしまうことが、苦悩の原因ですよ、とスートラは説いています。

 とても難しいですね。でも、これが実はヨガの根本。ヨガセラピーでは、呼吸法やアーサナで自分自身の身体や心へ意識を向けていきますが、これも肉体や心と距離を置いて、自分を客観視し、俯瞰していくのが目的。

 「自分の身体の今の感覚を、ただ味わってみてください」「心に浮かぶ思考や感情を、空に流れる雲を眺めるように観察してください」という声かけが、日常生活で曇りがちな心にとって、自己認識の訓練となります。

 最近では心理学の分野で「メタ認知」として注目されている能力ですね。

 村上春樹の小説の主人公は、自分自身を超越した場所から自分を眺めている観が強くて、簡単に物事を決めつけない、まずは体験をありのまま見つめ、丁寧に味わい、未消化なまま結論を急ぐのではなく、時間をかけて発酵していくのを待ち、物事の本質をとらえていく。このような認識をすることは、実はとても難しいのです。

 村上春樹さんご自身が、きっとそんな風に、自分を常に客観視しながら、物事の本質を捉えようと努力されている方なのかもしれませんね。


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