top of page
検索
  • 執筆者の写真おかもと まきこ

ヨーガとは、心のはたらきを止滅することである 〜月ヨガだよりNo.8


「ヨーガとは

心のはたらきを止滅することである」 「そのとき 見るものは本来の姿にとどまる」  ヨーガ・スートラ  1章2節、3節 暗やみで ロープや木の根っこをヘビと間違えた経験、ありませんか? 遠くに見えた柱を人影や幽霊と見間違えて脅えたり 心は内にある恐怖を外界に投影して

さまざまな幻影を作り出します。 ヨガで心の客観視力が身についてくると、 心ってこんなにも千々に乱れるものなのか しかもそのネガティブさに 驚き、落ちこみます。


まるで酔った猿のように 気まぐれで落ちつきのない 心という機能を科学的に制御する方法 心に翻弄されて人生を奪われるのではなく 私たちが手綱を握り 人生の主導権を取り戻すために

ヨガの経典ヨーガ・スートラには 〈心の科学〉としての智慧が

ちりばめられています。 ベテランの臨床心理士さんに聞いたのですが 心理学の実験で 人間がどれぐらい物を考えるかを調べたら 1日ざっと6万回(だったかな?) しかもそのほとんどが 否定的な内容だったそうです。


どうやら、これが心の特性のようです。 なぜでしょうか? ヨーガ・スートラは 心の総体を「チッタ」と呼び さらにチッタを


マナス=思考原理 アハンカーラ=自我意識 ブッディ=知性(識別能力) 3つの内的器官に分けて理解します。 私たちがよく使うのがマナス(思考原理) 感覚の入力したものを集め

過去のデータと比較して

認識した対象が何かを 迅速に特定しようとするはたらき 生存のため 生き抜くため 自分に少しでも有利なように


危険が迫っていないかを見極め 最善の行動をとろうとする。


このプロセスで無意識に働くのが アハンカーラ(自我意識) 「私は大丈夫か」 「私の身に危険はないか」 「私の」「私は」 哺乳類として弱肉強食を生き抜いて

進化してきた人類 必然的にそのマナス(思考原理)は

正確性や客観性よりも 〈自己中心性〉が強くなったようです。 〈エゴ〉と言われるものですね。 心配ごとが頭から離れない イライラして眠れない ぐるぐる思考が止まらない だいたいこんな時は

マナス(思考原理)が暴走してます。 過去・未来・他者の心の内側

この3つに引っ張られて悩んでいるとき あなたはその瞬間

マナスに乗っ取られて 自分を見失っています。


そのマナス(思考原理)を客観的に眺め 分析・判断し、修正したり、 ストップをかけられるのが ブッディ(知性) ヨガの原動力となるのは

このブッディ(知性)です。 マナスの誘導に流され

徹底的に自己中心的に行動することも選択できれば 自己中心性を脱却し 他者への思いやりや共感、優しさを表現することも選択できる。 人格はこのブッディ(知性)がどの方向性を向くかで 揺れ続けます 人生とは、そのせめぎ合いのプロセス 呼吸法とアーサナによって

心身の自己客観視力を身につけ ブッディ(知性)を洗練し、研ぎ澄ませ、

鍛えあげて 我欲(エゴ)にまみれた自動思考を止滅して 本当の自分を大切にし 自分自身に深い慈愛を抱くと 他の生命とも調和した自然なあり方 私たち<本来の姿>である 純粋意識へと近づけていけます。


それがヨガの本質 なぜなら そこに心の安らぎ 自由と解放があるからです。 プライベート・ヨガセラピーでは まず眼を閉じて

呼吸法で緊張を解き 肉体への刺激と解放を繰り返し 心を静めていきます。


古代インドの伝統的ヨガは <呼吸の科学><心の科学> といわれるだけあって 呼吸法によってマナスの乱れが 次第に静まっていく現象を クライアントさんのほぼ全員が

体験できます。 乱れた心が静まった後 最後に自分の心を眺める瞑想をすると

生まれ育った島の、風と光に満ちた風景 小さい頃、夕暮れまで遊んだレンゲのお花畑 夏休みに過ごしたおばあちゃん家の懐かしいお部屋


こんな原風景が 心に浮かんできた方々もいます。 そのイメージを思い浮かべながら なんの束縛もなく幸せだった頃の 心象風景を語るクライアントさんたちの瞳


その輝きに

私の心は吸い寄せられます。 小さな肉体に閉じ込められた エゴにまみれた自我意識が溶け出し 意識が大空へ広がって あったかくて、懐かしくて 広がっていく世界へ


私たちの<本来の姿>に近い 無心さ、静けさ、安らぎ ありのままでいられる幸福感 あなたもその境地、体験してみませんか。

◇画像の絵は、大ファンの画家・梅宮順子さんの作品を購入し、使わせていただいてます。いつも素敵な作品をありがとうございます。


閲覧数:22回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page