<メタ認知力>をご存知ですか?
人が物事をどう捉え、感じ、記憶し、予測し、判断しているかを<認知>と言いますが、自分自身の認知活動を客観的にとらえることを<メタ認知>と言います。
もう一人の自分が、高い次元から自分を俯瞰(ふかん)している状態、と言ったら理解しやすいでしょうか。
元々はアメリカの心理学者が定義した心理学用語で、教育学や脳科学の分野で使われていましたが、最近はさまざまな分野で注目されるようになってきました。
メタ認知力が身につくと、さまざまな思考や行動をしながらも、常にもう一人の自分が別次元に立ち、冷静に自分を眺めているので、予想外の事態にストレスが生じたときも、反射的に感情的な反応をしてしまうことを防いだり、不安や焦燥感などの苦しい感情に呑み込まれそうなとき、そんな感情から少し距離を置き、もう一人の自分がその感情を他人事のように眺めてみる、といった心理操作が可能になります。
自分の認知に気づき、客観視する力が養われていくと、自然に自己コントロール力も高まっていきます。
メタ認知が行っていることは、感情を抑圧したり回避することではありません。もう一人の自分は、たとえ苦手な感情であったとしても、その感情をあるがままに味わいながら、同時に、他人事のようにその感情を眺め、客観的に分析・熟考する作業をしているようなイメージです。
意図的に意識を分離させ、<体験を直接的に捉えている自分A>と、<間接的に眺めている別人格の自分B>の意識とが、同時並行で存在しているような感じです。
「避けなくてはならない苦の原因とは、見る者と見られるものの結合である」
ヨーガ・スートラ 2章17節
古代インドのヨガの聖典ヨーガ・スートラでは、メタ認知の重要性が大きなテーマとして取り上げられています。
ピンときた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
「見られるもの」とは、体験を直接的に捉えている自分A=肉体・心
「見る者」とは、間接的にAを眺めている別人格のB=意識
そして、この経句が意味するところは、
移り変わっていく幻のような存在である現実世界に引きずられ、肉体や心や自我などと自分自身を同一視することが、苦を生む原因となりますよ
苦を避けたければ、肉体や心と自分を同一化せずに、「見る者」としての意識の内にとどまるよう努力しなさい
そんな感じでしょうか。
実は、この「見られるもの」と「見る者」についての<気づき>のプロセスこそ、<瞑想>そのものと言えます。
ヨガセラピーの三つの柱は、呼吸法・アーサナ(ポーズ)・瞑想ですが、主役は<瞑想>。呼吸法とアーサナは、人の意識を瞑想状態に導くための手段なのですが、実は、呼吸法とアーサナだけでも、人間の意識を瞑想状態に導いていくことが分かっています。
ヨガセラピーが、瞑想的運動療法とも呼ばれる所以です。
瞑想とは自分自身の心と深く向き合う、長い冒険の旅のようなもの。
瞑想の入り口は、<心観瞑想(マインドフルネス瞑想)>といって、まずは自分の思考や感情に気づき、ありのまま感じてみること。
次の段階、<ヴェーダ瞑想>になると、一歩進みます。自分自身の認知のあり方を客観的に眺め、分析し、さまざまな角度から眺め、最終的には自分を苦しめている認知を自分自身で手放し、変容していくプロセスを含みます。
まさに、ヴェーダ瞑想とは、メタ認知力を鍛えるプロセスにほかなりません。瞑想によって脳内に生じるさまざまな変化が、最新の脳科学で明らかになりつつあります。
約5千年も前に、メタ認知力を鍛える科学的な行法を生み出した古代インドの智慧。世界最古の脳トレと言える<瞑想>、あなたもその世界に足を踏み入れてみませんか。
ヨガは、女性のためだけのものではありません。
人生に疲れ、疑問を持ち、変わりたいと願う、すべての方のための行法です。
女性はもちろん、男性の方、若者、ご高齢の方にも、扉は常に開かれています。
ヨガセラピーの第一段階は、呼吸法とアーサナ(肉体への緊張と解放)によって、こりかたまった心身の緊張を解きほぐすこと。
第二段階は、自分の身体や心の状態に、あるがままに気づき、受け入れること。
そして第三段階、呼吸が深まり、心が解放されていくと、瞑想への扉が開かれていきます。
そこには、<本当の自分>との出会いと、強さ、しなやかさ、豊かさを備えた、自分らしい人生への新たな展開が、あなたを待っています。
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