通勤途中に牛の散歩と遭遇できる街、糸満。
あまりに立派な牛なので、思わず車を止めて窓を開けると、
「横綱だよ!」と、綱をひいたお兄さんが自慢気に笑顔を向けてくれました。
横綱って、この牛のニックネーム? それとも闘牛ってこと?
質問する間もないまま、牛は悠々と通り過ぎていく…
私が前に勤めていた職場は糸満のさらに南端、大度海岸の近く。
あの有名な平和祈念公園のすぐそばでした。
朝は東シナ海と太平洋の水平線を見ながら出勤し、帰りは西の海へ沈む夕焼けを眺めながら帰宅する、なんというぜいたく!
この牛さんには、夕方、よく出会いました。
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「 非暴力を確立した人がいるところでは、すべての敵意はやむ」
ヨーガ・スートラ 2章35節
今日のテーマは<非暴力>。ヨガ哲学で最大のテーマといっても過言ではありません。
牛といえば、非暴力の象徴。
穏やかに草を食み、忍耐強く働き、
良いことも悪いことも
すべてを応諾して受け入れるような神秘的な瞳。
ヨガの経典は、五つの禁戒の第一に非暴力を掲げます。
この非暴力には、物理的暴力だけではなく、言葉の暴力、思いの暴力(敵意や攻撃性)も含まれます。
「心は合わせ鏡」ともいいます。
自分の中に攻撃性がなければ、他者も攻撃性を捨てる。
他者の攻撃性に反応してしまうのは、自分の中にも同じものがあるから。
力を入れたら同量の力で押し返されるニュートン力学の作用・反作用の法則は、
心(マインド)にもあてはまる場合があるようです。
積極的な攻撃性はなくても、否定的な思いを秘めていると
自分と相手の心が予期せぬ化学反応を起こしてしまうことも…。
攻撃性は、<恐れ>から出てくることが多いようです。
脅威や恐れを感じない、安心できる環境では、
あらゆる生き物は、防御を捨てて穏やかになる。
古の伝えでは、インドのある修行者は、この経句を実証しようと
あらゆる敵意を捨て、ヒマラヤの猛獣の棲む洞窟に入って一晩を過ごした
その猛獣は
修行者のそばを通り過ぎて外へ
再び帰ってきたとき、修行者のそばに木の実を落としていった
すごい勇気ですね!
完全に恐れを克服し、自分の心を制御しないと、こんなことできません。
他人に対して、「この人のこんなところがイヤ」と嫌悪感を抱いてしまうのも、実は自分自身の心の奥底に、同じものがひそんでいるから。
自分が必死で押し殺し、抑圧しようとしているものを、他者の内面に見出したとき、人は嫌悪感を抱きます。
私が初めて出会ったヨガの先生は、
人間関係に悩んでいた私に、このことをさり気なく教えてくれました。
自分自身で気づけるように
ヨガで真剣に向き合うのは他者ではなく、自分の心
徹底的に自分の心と向き合い
否定的なものとも向き合い、受け入れ
余分なものをそぎ落とし
最後は自分の利己心という難敵と闘い
他の生命と繋がり、支え合うことが幸せだと気づく。
それでも敵意を向けられたら、その人はきっと、あなたが自分らしく輝いていることを
許せないと思っている。
自分が 自分自身に 自分らしく生きることを許していないから…
自分を受け入れることができていないから。
自己一致しているあなたに 無意識に反発を抱いてしまう。
そんなときは 自分を大切にできないその人へ憐れみと慈愛を抱き
自分は自分らしく 輝き続ければよい。
その人のことを祈りながら。
もろく、翻弄されやすいのが人間の心。
私の今生のテーマも<弱さの克服>です。
<弱さ>があるからこそ、地球を選んで生まれてきた。
いろいろな体験をして。
強く、やさしく、しなかやに、豊かになれるように。
恐れる心を手放し、弱さを克服しながら、
「身口意(身体、言葉、心)」にわたって貫く非暴力へ。
みなさんと支え合いながら、一歩ずつ 近づいていきたいです。
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