「煩悩とは、無智、自我意識、愛着、嫌悪、死への恐怖(生命欲)である」
ヨーガ・スートラ 2章3節
大みそかの夜はどんな風に過ごしますか
私はNHKの「ゆく年くる年」が好きで
全国津々浦々のお寺や神社にお参りする人々の
荘厳な表情を眺めながら
静かに年越しをします
<信仰心>
<大いなる存在を敬い、信じる心>
夜中から初詣に訪れる人々の瞳に
わたしたちが忘れかけている大切なものを
見つけられるからです
今回のテーマは<わたし>
<わたし>という
幻(まぼろし)のフィルターを通して
苦しみがふくらんでいく煩悩(ぼんのう)の
からくりについて
一年の煩悩を流す除夜の鐘
108回突くというのは
仏教における人間の煩悩の数とされます
煩悩とは
<自分で自分自身を苦しめる心> のこと
ヨガのバイブル
ヨーガ・スートラは煩悩をシンプルに五つに分けますが
その中心はやはり<自我意識>
私は
私の
私だって…
という自己中心的な視点
自分への過剰な執着のことを
<我執(アハンカーラ)>と呼びます
競争意識
世間から認められたい
だれからも好かれたい
仕事で他者をしのぎたい
将来もずっと物質的に安定していたい欲望
これが高じると
貪欲、怒り、ねたみ
仏教で<三毒>と呼ばれる強大なエネルギーとなって
この感情を抱いている本人自身を苦しめます
個人主義や自己実現への努力を賞賛する
競争社会に打ち勝って地位・収入・名誉を獲得する
そんな価値観で教育を受けたわたしたちは
この小さな<わたし>にばかりフォーカス(注目)して
世の中を眺める心の癖がついていますが
そもそも<わたし>ってなに?
生まれたばかりの赤ん坊に
<わたし>という意識はありません
自分の小さな手をじっーっとながめて
開いたり閉じたり、口につっこんだりして
???
という表情からうかがえるのは
<わたし>という意識は生来のものではなく
成長の過程で獲得していったものだということ
ひとは<わたし>という認識を通して
出来事に意味づけし
世界を体験していく
その体験の仕方や解釈は
人によって千差万別
つまり<わたし>とは
世界との関わり方を決めるフィルター
ひとによって
地域によって
国によって
時代によって
そのフィルターは変幻自在に変化する
つまり、まぼろしのようなもの
仏教やヨガ哲学に限らず
現代心理学においても
<わたし>を絶対視することへの疑問が
投げかけられています
…………………………
「考えてみると
<わたし>はひとつの虚構
おそらくは人類が手にした最大の虚構であるとも言える
誰もが私は<わたし>といい
またどのような状況にあっても
<わたし>である
あらゆる人格とあらゆる状況に通用するがゆえに
<わたし>とはそれ自体では
意味規定内容をもたない空虚なものであるとさえ言えよう
しかし、こうした空虚な一点を媒介としてこそ
私たちは記憶やイメージをつなぎあわせ
<わたし>を構成するのである」
〜大山泰宏、放送大学教授(人格心理学)
古代インドで伝承されてきたバガヴァッド・ギーターでも
神の化身クリシュナは
心乱れて動揺する将軍アルジュナに
「君の自我は君の心を操っている
君の自我は、肉体による有限の経験を重視させて
魂による無限の経験から君の眼をそらさせようとしている
人が認識する世界は実際のところ
その人が選んだ物差しに基づく幻影(マーヤ―)である」
とアルジュナをさとしました
…………………………
ヨガセラピーでは
呼吸法
アーサナ(ポーズ)
瞑想
という3つの技法を使って
肉体への自己客観視力を高めながら
メタ認知力を身につけていきます
メタ認知力とは
自分の心(思考や感情、記憶など)を
自分で眺めて俯瞰する力
メタ認知が習慣化すると
<わたし>というフィルターの特徴に気づきます
<わたし>にだまされない、囚われない
もっと大きな視点から
物事をあるがままに眺められるようになっていきます
…………………………
私自身を振り返っても
最も苦しい心の波は
意識をあまりにも<わたし>にフォーカスしすぎたときに
起きました
引き金となる出来事はありましたが
<わたし>を通して意味づけするうちに
やっぱり自分が悪いんだ
自分なんて価値がないんだ
だれもわたしを理解してくれない
といった自己否定の悪循環へ
<わたし>が<わたし>を否定するループへ
底なし沼にはまりこんだことがあります
その背後には
いろいろな執着や渇望
つまり煩悩が隠れていました
…………………………
<わたし>に要注意
<わたし>への過剰なフォーカスを弱めるために
ムーンサイクルヨガでは
意識化範囲拡大の瞑想をします
イメージの力を使って
自分の意識をこの小さな肉体から一時的に切り離し
大空、太陽、無限に広がる宇宙、大いなる存在へ
小さな意識をどんどん解放し
あたたかくて、懐かしくて、広がっていく世界へと
意識を拡大したときに感じる
自由、解放感、安らかさ
クラゲの瞑想もします
海をただようクラゲになって
すべてを波にゆだねてゆらゆらと
光と水と一体になっていると
小さな<わたし>に囚われていた自分が
解放されていきます
そんな瞑想を重ねるうちに
<わたし>への執着を離れて
他の生命とのつながりや自然との一体感を思い出して
心が中庸に立ち戻り
あるがままに出来事を眺められるようになります
…………………………
最後に
<わたし>という分離・孤独感をやわらげてくれる
最も強いパワーは
<信仰心 シュラッダー>
大いなる存在への信頼、ゆだねる心
これは特定の宗教に限定されるものではありません
ゆく年くる年で
大いなる存在へ手を合わせて年を越す人々の思い
それも信仰心
古代インドのヴェーダやギーター、スートラはすべて
この信仰心を育てていくことこそが
<わたし>という煩悩を弱める
最もパワフルな方法だと説いています
最後まで読んでくださり
ありがとうございました
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